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2016-07-10

【不盗】人のものを盗まないというのは、人のエネルギーも同じ。


ブログテーマ:シンプル・ミニマルライフ
ヨガの教え「ヤマ」の中で、「アステーヤ=不盗、盗まない」というものが出てきます。

▶︎ 【ヨガの八支則】シンプル・ミニマムに暮らすためのヨガの教え。

他人の財産や持ち物を盗まない、という意味ですが、盗んではいけないのはそれだけではありません。

人から奪えるもの、時間や、人そのもののエネルギーもそうだな、と。

かつての私は、人のエネルギーを奪ったり、奪われたり。かなりこういうことで消耗していました。

人の氷を盗もうとしている実家猫。隙を狙っています。「あげない!」と一人占めすることも盗みの一つの形なのだとか。でもこれはコーヒーの氷なので、あげない。


人と人とのエネルギー戦争。


例えば常に、「今日は頭が痛い、お腹が痛い、腰が痛い、肩が痛い、つらい、しんどい、調子悪い」

書いているだけで調子悪くなりそうですが…

これを人に訴え、必要以上に「私しんどい」アピールをすることをしていました。

「大丈夫?」「大変だね」と慰めてもらうことで人のエネルギーを奪っていたんですね。もしかしたら、上手にスルーしてくれていたのかもしれませんが、奪ってしまっていたなら本当にごめんなさい。でも私自身慰められて、元気になるというサイクルでいたから、奪っていたのでしょうね。

この時は人のエネルギーを奪っているなどど思ってもみなかったのですが、奪われる立場になって初めて気付きました。

これに気付いたのもヨガを初めてからですが、会うたびに、身体の不調や良くない出来事を訴える人がいました。「私はしんどい、環境が悪い、まわりが悪い、辛い」との話を聞かされる。

そのまんま私も同じことをしていたのですが、その話はここ。

▶︎ 【ヨガ哲学アステーヤ】小さな嫉妬を消して、私にやってきた富とは?

この時に、私の愚痴を聞いて一喝いれてくれた人は「奪われない人」ですね。いや、最初はやさしく聞いていてくれたから「奪われる」ことにうんざりしたのでしょう。私も相手から「同情」と「なぐさめ」を奪えなかったことで自分のやってきたことに気付いたのだと思います。

そして私のエネルギーを奪う人との会話。ある程度、流すスキルを身につけましたが、最初は親身になった分随分と疲れました。

その人と会うとぐったりと疲れて、自分自身が、どーーーんと凹んでしまう。そのことにすら初めは気づいていなかったのですが。

あ、奪われてる。そう気づきました。気付いた後、その方に私が一喝できればよかったのですが、私にはうまくいうことができず、同情も慰めもせず、ただ流してみることに。そうすると、だんだんその人も「奪えない」と気付いたのでしょう。

私に愚痴を聞かせてくることはなくなりました。疎遠になりました。

もちろん、大変なことを一人で抱え込まず、少し人に話して楽になることもある。友達や家族はそういうことを聞いてくれる存在。たまに聞いてもらう程度には、とても良い処方箋。

でも、そこに甘えてしまっていつまでも「しんどい、つらい」「そうだね、辛いね、しんどいね」のループでは、大切な友達や家族から気づかないうちに奪っていることに…。

私にもまだそういうサイクルがあって、たまにどーんと落ち込んでネガティブなことをネチネチと夫に聞かせてしまうことがあります。その度に一喝入れてくれるのが夫。

最初は「なんでこの人は慰めてくれないの!」と思ったこともあるのですが、私にとって必要だったのは同情よりも、そこに引っ張り込まれていることに気づかせてくれる一言。

夫もつまり「奪われない人」でした。

ネガティヴな感情ももちろん湧いてきます。でもその時にそれを口にすることで相手から奪っていないかどうか。逆に、自分が奪われていないか。

時々よくよく観察してみる。ヨガのこの教えはそういうことにも気づかせてくれました。最近少し「あれ?もしかして奪われそうになってる?」と感じたことがあったので思い出した話。

そして、最近思うのが、「人の批判・悪口」もほんっとエネルギー泥棒だな、と。
私も気をつけます。


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